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WISHBONE ASH DISCOGRAPHY | ||
ギブソン・フライングV(アンディ・パウエル)とフェンダー・ストラトキャスター(テッド・ターナー)による美しいツイン・リード・ギターという当時としては珍しかったバンド編成でデビューしたウィッシュボーン・アッシュ。分類としては行き場がないのでハード・ロックに入れられますが、唯一無二のブリティッシュ・ロックの中のブリティッシュ・ロック・バンドです。 ※現在もA.パウエルがアッシュとして活動中ですが、CDを所有していないためディスコグラフィに入っていません。ご了承ください。 |
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◆ 黄金期(70年代前半) 1966年、マーティン・ターナー(b)と弟のグレン(g)にスティーヴ・アプトン(ds)を加えた三人が結成していたタングルウッドがマネージャーのマイルス・コープランドと出会いメジャー・デビューを目指します。しかし、弟のグレンが脱退し急遽メンバーのギタリストの募集をします。本来ならギタリストにキーボディストを加えた編成を理想と考えていた彼らでしたが、最終的に残ったのがアンディ・パウエルとテッド・ターナー(マーティンとの血縁関係はなし)のギタリストが二人。理想とは違った形でのバンド編成を面白いと考えた彼らはツイン・リード・ギターという選択をしたのです。 美しく透明感のあるギター・サウンドに英国特有の湿り気のある叙情的なメロディ・ラインは、他に類を見ない彼ら独特の雰囲気を醸し出しています。そのサウンドは、ヒプノシスによる中世から抜け出してきたようなジャケットも含め歴史的名盤として燦然と輝く『ARGUS』で完成しますが、次作の『WISHBONE FOUR』発表後テッド・ターナーの脱退という危機に見舞われるのです。 A.パウエルの相棒には、なんとカントリー・ロック系バンドのホーム出身で当時22歳だったローリー・ワイズフィールドが抜擢されます。ギターの腕前もさることながらコンポーザーとしても優秀だった彼とは、ホームがアッシュの前座を務めていたことから旧知の仲だったようです。新メンバーを加えたバンドは、クラプトンの『461オーシャン・ブールバード』の録音スタジオとして有名だったマイアミのクライテリア・スタジオでイーグルスで有名なビル・シムジクをプロデューサーに迎えて録音を開始します。 |
◆ アメリカ期(70年代後半) 新メンバーのローリー・ワイズフィールドを加えてツイン・リードの体制を整えた彼らは、『THERE'S THE RUB(永遠の不安)』を発表しファンの不安を払拭しますが、英国の厳しい税率(なんと85%、多くのアーティストが逃げ出しました)に嫌気が差しメンバー全員がアメリカへ移住?してしまいます。もちろん、まだまだ評価の低かったアメリカでの成功を目指しての決断だったとは思いますが、その目論見は見事にはずれ、『NO SMOKE WITHOUT FIRE』にいたっては全米チャートにランク・インすらしないという屈辱を味わってしまうのです。さらに、黄金期からのファンやメディアにもアメリカナイズされたサウンドが悪評を買い英国内での人気も落ち目になるという二重苦を背負うことになるのです。ここにアメリカでの挑戦は終わり、本国へ帰還してしまいます。 しかし、メディアの批判はそれとしてアルバム自体の出来はどうかというと、しっかり作り上げてあり聴き応えのある作品もあるのです。とくに、よくアメリカナイズされた作品として槍玉に上げられることの多い『LOCKED IN』は、キーボードの使用や女性コーラスがうんぬんされますが英国時代の湿り気や叙情感は薄れているとはいうものの、名プロデューサーのトム・ダウドのお陰かタイトでハードなロックを聴かせてくれますし、『NEW ENGLAND』などは作品の構成では全盛期に劣るものの「You Rescue Me」や「Lorelei」などの名曲を収録しているなど十分にウィッシュボーン・アッシュとしての面目を保っていると思います。パンク真っ只中の時代には無理があったかもしれませんねぇ。 |
◆ 原点回帰そして…… アメリカ在住の時代から自分たちの方向性を修正し原点への回帰を目指した彼等でしたが、初期のウエットでメロディアスな雰囲気を忘れられないファンには受け入れてもらえないばかりかアメリカでの新しいファン層の獲得にも失敗し、80年を前にアメリカからふるさとの英国へ戻り再度原点回帰を目指します。しかし、またも彼等を危機が襲います。1980年の『JUST TESTING』発表後に大黒柱だったM.ターナーが脱退してしまいます。急場凌ぎ的にさすらいのベーシスト:ジョン・ウェットンの手助けを借りて『NUMBER THE BRAVE』を完成させますが、J.ウェットンが主導権を握れないバンドに落ち着くはずはなく、この後ベーシストが固定されることはありませんでした。1987年にオリジナル・メンバーによる再結成までにトレヴァー・ボルダー(ユーライア・ヒープなど)、マーヴィン・スペンス(トラピーズ)とベーシストが替わるのが当たり前になったアッシュでしたが、この間も復活と呼べる評価を得た作品が発表できないままR.ワイズフィールドまでも脱退してしまいバンドは解散状態になってしまいます。 そして、マイルス・コープランドがマネージャーとして復帰して下した決断は、オリジナル・メンバーによる再結成という作戦でした。しかも、全ての曲がインスツルメンタルというバンドの特長を最大限に生かした作品だったのです。その後、1989年に歌入りの作品『HERE TO HEAR』を発表しますが、スティーヴ・アプトンが引退し、91年にM.ターナーも脱退、94年にはテッド・ターナーも脱退しソロ活動に、その後はただ一人のオリジナル・メンバーであるアンディ・パウエルを中心に活動しています。 |
![]() 写真提供:TOMA 第二期メンバー、左から マーティン・ターナー(B) ローリー・ワイズフィールド(G) スティーヴ・アプトン(Dr) アンディ・パウエル(G) |
WISHBONE ASH (1970) |
PILGRIMAGE (1971) |
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ARGUS (1972) |
WISHBONE FOUR (1973) |
LIVE DATES (1973) |
![]() 詳しくはこちら ![]() |
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THERE'S THE RUB (1974) |
LOCKED IN (1976) |
NEW ENGLAND (1976) |
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FRONT PAGE NEWS (1977) |
NO SMOKE WITHOUT FIRE (1978) |
JUST TESTING (1980) |
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NUMBER THE BRAVE (1980) |
LIVE DATE Ⅱ (1980) |
HOT ASH (1981) |
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TWIN BARRELS BURNING (1982) |
RAW TO THE BONE (1985) |
NOUVEAU CALLS (1987) |
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HERE TO HEAR (1989) |
STRANGE AFFAIR (1991) |
LIVE IN BRISTOL (2003) |
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ILLMINATIONS (1996) |
TRANCE VISIONARY (1997) |
PSYCHIC TERRORISM (1998) |
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BONA FIDE (2002) |
CLAN DESTINY (2006) |
POWER OF ETERNITY (2007) |
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FIRST LIGHT (2007) |
ELEGANT STEALTH (2011) |
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